電車にいるヤバい人

電車に乗っているとヤバい人に遭遇することって結構あるよね。(まあヤバい人って言ったら失礼なのかもだけど…とか色々考えたけど自分からすればただの電車で居合わせてヤバい人でしかないのでヤバい人と書き続ける)

 

今日電車に乗ってるとサラリーマン風の男が起きて、駅降り過ごしたらしく「え、もう〇〇?」「過ぎちゃったじゃん」「終電間に合うかなあ」などと叫んで、突然泣き出したり、電車のドアを手で叩いたりしてた。

 

こういう時いつも自分が思い浮かんでくる言葉が「多様性」である。多様性っていうのは難しいよね…

 

人間という生き物は社会でお互い支え合って生きていかないと生きれない生き物である。だから多様性を受け入れることは重要なことなのであろう。だけど多様性は大事と言っても真の多様性を受け入れるのは果たしていいことなのだろうか?

 

人間は良くも悪くも他人を差別する生き物である。この時点で真に多様性を受け入れる社会というのは構築不可能であろう。ただ、多様性という風潮が出来上がりことで表立って差別しにくくなることは良いことなのだろう。

 

なんか適当に色んなことを考えすぎて自分でも何を書いているのか分からなくなってしまった。自分の頭の悪さが露呈してしまう…

 

最後に一つだけ…

 

人間の社会には社会通念っていうものがある。その社会通念の中で生きている人達の多様性は社会に受け入れられるが、それの外に存在する人々は一体どうなのだろう?これは自分がコンビニ人間を読んだ時に初めて自分に問うた質問である。また機会があったら考えてみたいと思う。